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ヴィーガンは本当に穏やかになれるのか?ヴィーガン歴の長い人に聞いてみました。
ヴィーガンになると心が穏やかになる──そんな話を耳にしたことはありませんか?私たちヴィーガンスタート編集部(スタッフ全員ヴィーガン)は、この話題をきっかけに「本当にヴィーガンになると穏やかになれるのか?」を深く知りたくなり、インタビュー調査を開始しました。
「ヴィーガンとは何か」を単に食生活だけでなく、心の在り方や生き方として見つめるためには、幅広い体験を持つ方々の声が欠かせません。そこで私たちは、動物性食品を食べていた時期とヴィーガンになってからの年月が同じ、またはそれ以上のヴィーガン歴を持つ方々に限定して話を伺うことにしました。そうすることで、比較できる視点と長年の実体験に基づいたリアルな声を聞くことができると考えたのです。
その条件で調査を進めた結果、たどり着いたのは現在45歳以上の方々ばかりでした。若い世代にはまだそこまでの長いヴィーガン歴を持つ方が少なく、外部でのリサーチも難航。途中で諦めかけたほどですが、ようやく信頼できる方々の証言を集めることができました。
この方を含めたヴィーガン歴20年以上の方々に、肉を食べなくなってから心境や人間関係にどんな変化があったか、穏やかさに本当に関係があるのかを尋ねていきました。
ヴィーガンであることが、単なる食の選択にとどまらず、心のあり方や他者への接し方にも影響していることが、彼らの言葉から伝わってきます。
ヴィーガンとは、「食べない」こと以上に、「どう生きるか」「どう関わるか」を問う生き方なのかもしれません。
この特集では、動物性食品を手放すことでどのような心の変化があったのか、ヴィーガンとしての年月が育んだ価値観や穏やかさについて、リアルな証言を通して掘り下げていきます。

ヴィーガンになると性格は穏やかになる?日本人の心に寄り添うヴィーガンのあり方を考える
ヴィーガンスタート編集部では、「ヴィーガンになると穏やかになるのか?」という疑問について、ヴィーガン歴の長い方々へのインタビューを通じて掘り下げてきました。その中でわかったのは、ヴィーガンになったからといってすぐに性格が変わるわけではないものの、約15年という長いヴィーガン歴を持つ方々には、穏やかで優しい心持ちが育まれている傾向があるということです。これはあくまで体験談と限られた観察によるものであり、現時点では科学的に確立されたデータは少ないものの、一定の傾向としては無視できないものでした。
もちろん、人の性格はもともとの気質や育った環境にも影響されるため、「ヴィーガンであれば誰でも優しい」という単純な話ではありません。むしろ、ヴィーガン歴が短い方や、性格的に他人と比較して優越感を求めがちな傾向のある方の場合には、「肉を食べる人を見下す」といった態度に陥ってしまうケースもあります。それは、自分自身がかつて肉を食べていた過去を受け入れられず、未熟な自己肯定の方法として“咎める”という姿勢に出てしまうためです。
咎めるという行為の根底には、怒りがあります。そしてその怒りは、実は不安や恐れの裏返しであることが多いのです。声を荒らげて他人を非難したり、恫喝するような発信を繰り返してしまうのは、自らの中にある不安を消し去るための、いわば防衛的な反応なのかもしれません。
今、私たちが暮らす社会では、優しさや謙虚さ、利他的な気持ちといった本来日本人が大切にしてきた心が、時として見失われがちです。そしてその空虚さの中で、ヴィーガンという生き方が「正しい」か「間違い」かという二元論に引きずられ、自分や他人を追い込んでしまう人たちもいます。
けれども、本来、日本人の持つ美徳は、「押しつけない優しさ」と「控えめな誠実さ」です。他者を責めず、そっと手を差し伸べ、必要であれば少し距離を置きながらも共に考えることができる──それが日本人の心であり、その姿勢こそが、ヴィーガンという生き方を自然に日本社会へ浸透させる鍵になるのではないでしょうか。
だからこそ、ヴィーガンである自分を誇示したり、ヴィーガンでない人を見下すような態度は、かえってヴィーガンに対する恐れや拒否反応を生んでしまいます。 昨日今日ヴィーガンになったばかりの人が、まるで戦士のように旗を振り叫ぶ姿は、多くの人にとって「ヴィーガンは極端で怖い」という印象を強めてしまう危険性すらあるのです。
たとえば、日本では「ヴィーガン」という言葉自体がまだ馴染みのない時代が続いてきました。乳製品を取るベジタリアンから始めて、徐々にヴィーガンに移行しようとする人も多い中、表現方法や伝え方の工夫がなければ、むしろ壁をつくってしまうこともあります。
しかし、それもまた「成長の過程」であると私たちは考えます。ヴィーガンとして生まれたばかりの人が、うまく自分の思いを表現できずに感情的になってしまうのは、まるで泣いて自分を伝えようとする幼い子どものようなもの。だからこそ、周囲の“大人”が温かいまなざしで見守り、共に育んでいく姿勢が大切なのです。
ヴィーガンであることは、「何を食べないか」ではなく、「どう生きるか」「どう関わるか」の選択です。穏やかで優しく、誰からも信頼される存在として育っていくために、今こそ日本人が持つ本来の美しさを思い出し、咎めることではなく、寄り添うことでヴィーガンを広げていくべきではないでしょうか。

ヴィーガンは押しつけではなく、共感と優しさで広げていくもの──未来のために、いま私たちができること
ある日、「食べられる動物を無くす動物愛護」というキャッチコピーを持つサイト『ヴィーガンスタート』の存在を知りました。その言葉に、私は深く心を打たれました。これはただのスローガンではありません。ヴィーガンという生き方の本質──動物たちの命を慈しみ、共に生きる未来を願う気持ちが、静かに、そして力強く表現されていたのです。
私たちが目指す未来、それはヴィーガンの理念のもと、誰もが手を取り合い、動物たちが「食べられる存在」ではなく、命ある仲間として尊重される世界です。そしてその第一歩は、週に1度のヴィーガンライフでも十分すぎるほど価値あるスタートになります。
しかし残念ながら、現実には「完全でなければ意味がない」といった極端な考えから、週1回だけヴィーガンを実践している人や、ベジタリアンを経由して少しずつ移行しようとしている人に対して、攻撃的な態度をとってしまう人も存在します。そのような態度こそが、社会の中でヴィーガンが理解されづらくなっている大きな原因のひとつなのです。
ヴィーガンを広めるために必要なのは、他者への押しつけではなく、自分自身の謙虚さと穏やかさです。
ヴィーガン歴が10年、15年と長くなってくると、多くの人が気づき始めます。「かつての私は、相手に強く求めすぎていた」「あの態度が、逆にヴィーガンへの誤解を生んでいた」と。そして、かつて自分が肉を食べていた過去にも素直に向き合い、その経験を通して、より共感力のある伝え方ができるようになっていきます。
「今すぐ100%のヴィーガンになれ」と求めるのではなく、「まずは今日一日、ヴィーガンを意識してみよう」と優しく声をかける──そのような対話が、日本においてヴィーガンという考え方を根づかせていく力になります。押しつけることで広がるものはありません。ヴィーガンの本質は、優しさと共感の積み重ねなのです。
自分がヴィーガンになった瞬間から、過去の自分を否定するように他人を責めてしまうのは、ヴィーガンの理念から外れてしまいます。むしろ、かつての自分と同じように動物性食品を食べている人々を、威圧的に非難するのではなく、理解と愛をもって迎え入れる姿勢こそが、未来を変える力になります。
ヴィーガンという生き方を広げたいと願うのであれば、まず私たち自身が、穏やかに、謙虚に、そして優しくあることを大切にする必要があります。それこそが、ヴィーガンという言葉が「怖い」「押しつけがましい」という誤解を超え、誰もが自然に共感できるものになるための道です。
私たちは、完璧を求めるのではなく、小さな一歩を大切にする姿勢を持ちましょう。そしていつの日か、ヴィーガンという合言葉のもとで、すべての人とすべての動物が手を取り合う未来を迎えることができるように──その願いを胸に、静かに、着実に歩みを進めていきたいと思います。

ヴィーガンという優しさを、日本人の心に合ったかたちで伝えるために
ヴィーガンという生き方には、さまざまな伝え方や活動のスタイルがあるべきだと思っています。けれども、日本でヴィーガンを広げていくためには、日本人の心に響く伝え方とは何かをもう一度見つめ直すことが必要だと感じています。
海外では、動物が切り裂かれる写真や過激な映像を街頭で掲げ、動物の苦しみに目を向けさせるというアプローチがよく見られます。確かにそれは衝撃的で、目を背けてはいけない現実です。しかし、日本という国において、そのような手法が果たして有効でしょうか?
私たち日本人は、直接的で激しい表現よりも、静かな優しさや謙虚な姿勢に心を動かされる傾向があります。過激な写真や仮面をつけた活動が与えるのは、共感ではなく恐怖です。そしてその恐怖が、結果としてヴィーガンやベジタリアンの理念から人々を遠ざけてしまっているのではないか──そんな不安を私たちは抱いています。
だからこそ私は、「動物たちのかわいらしい姿」や「生きる尊さ」を優しく伝えるアプローチこそが、日本人の心に届く道ではないかと考えています。たとえば、可愛い豚さんや牛さん、鶏さんたちの温かい写真や動画を携えて、「どうかよろしくお願いいたします」と遜りながら街に立つ──その姿に、思わず足を止める人がいるかもしれません。
海外のやり方を模倣するのではなく、日本から世界へ発信できるヴィーガンの形を私たちは築いていけるはずです。日本人特有の「控えめな心」「他者への思いやり」「自分を主張しすぎない姿勢」は、ヴィーガンの理念とも深く共鳴しています。35年以上ヴィーガンとして生きてきた私がたどり着いたのは、結局そこにこそ希望があるという確信です。
また、よく聞かれるのが「ヴィーガンになると穏やかになるのか?」という疑問です。もちろん、すべてはその人のもともとの性格による部分もありますが、私の経験上、15年ほどヴィーガンを続けていれば、自然と心は穏やかになっていくように思います。なぜなら、動物性食品を断つという選択は、日々の暮らしの中で「他者を思いやる」ことに向き合い続ける生き方だからです。
もし今、怒りや咎めの気持ちを抱えながらヴィーガンを続けている人がいたとしても、それは過去のお肉を食べていた自分との向き合い方が、まだ癒されていないだけなのかもしれません。その罪悪感が声を荒げさせることもあるでしょう。でも、いつか必ず、自らを赦す日が訪れます。だからこそ、今はただ静かに、自分を責めすぎることなく、前を向いて名もない道を歩いていってほしいのです。
ヴィーガンとして生きることは、完璧さを求める競争ではありません。時間をかけて育つ心の変化こそが、本当のヴィーガンの力です。押しつけることではなく、共に歩むことを大切にする。そんな心を持つ人が一人、また一人と増えていけば、きっと世界は少しずつ優しくなっていきます。
今回のインタビューでは、ヴィーガンという枠にとどまらず、人としての深い生き方に触れるような瞬間が多くありました。あまりに多岐にわたる内容のため、ここですべてをご紹介することは叶いませんでしたが、またの機会に新しい記事としてまとめさせていただければ幸いです。
文献による総括
ヴィーガンは本当に人を穏やかにするのか?日本と海外の文献から見えてきた真実
「ヴィーガンになると穏やかで優しくなる」と語られることがありますが、それは単なるイメージなのでしょうか?それとも実際に科学的・文化的な裏付けがあるのでしょうか?本稿では、日本と海外におけるヴィーガンに関する文献を比較しながら、ヴィーガン食と人間の精神的成長・穏やかさの関係性について深く掘り下げます。
日本におけるヴィーガンと穏やかさの関係
日本の文献では、ヴィーガンの実践と仏教の教えとの関係性が強く意識されています。特に注目されるのは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」に象徴されるような、命を奪わないという仏教倫理と、精進料理の文化です。動物性食品を避けるという行為は、他者(動物)に対する慈悲の心や共感力を育むとされており、そこから「穏やかな心」「優しさ」が自然と育まれると考えられています。
また、ヴィーガン食が心身のバランスに与える影響も議論されています。身体に優しい食事を選ぶことが心にも良い影響を与えるという視点から、精神の安定や自己調和が促進され、穏やかで温和な性格につながるとする研究も存在します。
日本文化の中では、他者への配慮や集団との調和が美徳とされてきました。そうした社会的背景の中で、ヴィーガンという選択が**「動物へのやさしさ」だけでなく、「人としての在り方」**にも直結していると評価されているのです。
海外におけるヴィーガニズムと精神的成長
一方、欧米を中心とした海外の文献では、ヴィーガンというライフスタイルが、倫理的な自己実現や精神的成長の一環として捉えられる傾向にあります。特に動物の権利意識の高まりと連動して、「動物を搾取しない選択=倫理的に正しい行動」という前提が存在します。
この倫理的選択を継続することによって、他者への共感や思いやりが強化され、結果として穏やかで優しい人格が形成されるとする研究が多数発表されています。中でも、心理学的な観点から「非暴力的な食生活」が攻撃性を低下させ、精神的な平和を生むという主張は多くの注目を集めています。
さらに、動物を傷つけないという安心感や倫理的な一貫性を持つことが、精神的なストレスの軽減や自己肯定感の向上につながるという報告もあります。これにより、ヴィーガンであることが単なる食習慣を超えた、人間性の育成や社会性の向上に貢献するという見方が広がっています。
文献から見る文化的違いと共通点
日本の文献は、仏教・精進料理・調和の文化を通じて、ヴィーガンが「穏やかで優しい人格形成」に寄与することを示唆しています。一方で海外の文献は、倫理的な選択・精神的ウェルビーイング・社会的共感の観点から、同様にヴィーガン食が穏やかな性格とつながることを裏付けています。
主な海外文献の例:
- The Vegan Mindset: How Plant-Based Living Brings Inner Peace(Colleen Patrick-Goudreau, 2017)
- Compassionate Living: How Veganism Cultivates Empathy and Reduces Aggression(Journal of Positive Psychology, 2018)
- Peaceful Eating: How a Vegan Diet Can Bring You Calm and Contentment(Jane Hurst, 2016)
これらの研究は、「動物性食品を避けるという選択」が、人間の精神にどのような変化をもたらすのかを、多角的に明らかにしています。

総括:ヴィーガンがもたらす心の穏やかさとは?
ヴィーガンになることがすぐに穏やかさを生むとは限りません。しかし、日本と海外、両方の文化圏で共通して語られているのは、「動物の命を尊重する倫理的な選択が、時間をかけて人間の心に穏やかさや優しさを育む」という点です。
ヴィーガン歴が10年、15年と続く人々の多くが、穏やかで物腰柔らかく、他者に対して思いやりを持った生き方へと変化していく姿は、まさにこの主張を裏付けています。ヴィーガンとは、単なる食生活ではなく、人としての在り方を見つめ直す生き方そのものなのです。
最後に
今はまだ怒りを抱えている方も、穏やかに微笑む方も、みんなで一緒に優しくなって、他者を思いやり、動物を愛する世界を一緒につくっていきましょう。ヴィーガンという生き方は、人間と動物、すべての命をつなぐ優しさの道です。その未来に向かって、共に歩める日を心から願っております。