
「あなたが“好き”と言っているその動物は、本当にすべての動物ですか?」
「私は動物が好きです」その言葉を口にするとき、あなたの心にはどんな風景が浮かんでいますか?
陽だまりで丸くなる猫。しっぽを振って駆け寄る犬。愛くるしいハムスターやうさぎ、亀。私たちは、そんな愛くるしい命に、自然と心を寄せます。
けれど、その「動物」という言葉の中から、いつの間にかこぼれ落ちてしまっている命があります。
牛、豚、鶏、そして魚。
「守る命」と「食べる命」を、無意識に分けてはいないでしょうか。
「動物が好き」という言葉の真意を、一度立ち止まって見つめ直してみませんか。
「動物好き」が指しているもの
「動物が好き」という言葉は、やさしく、温かい響きを持っています。けれど、その言葉が指している範囲は、人によって異なります。
共に暮らす動物には愛情を向ける。一方で、食べるための存在は、どこか遠くに置かれる。
その区別は、特別なものではありません。多くの人が、疑問を持たないまま受け入れてきたものです。
けれど、その線は本当に、揺るがないものなのでしょうか。
本来、「動物」という言葉の中に、食卓にのぼる命も含まれているはずです。
そのことを考えたとき、「動物好き」という言葉の意味は、思っている以上に重いものなのかもしれません。
無意識に引かれた「見えない境界線」
いつの間にか、知らないうちに線を引いています。
守る存在と、消費される存在。
触れる命と、切り分けられた命。
犬や猫が傷つけば胸を痛めるのに、食卓にのぼる命には、同じ感覚を持てない。どこか遠い出来事のように感じてしまう。
その違いは、どこから生まれているのでしょうか。
それは、生まれつきのものではなく、「当たり前」として受け取ってきたものかもしれません。
では、その当たり前は、本当に疑う余地のないものなのでしょうか。
「かわいいから守る」「食べるための存在だから仕方ない」
その価値観の奥には、命を「人間の都合」で選別している視点が潜んでいるのかもしれません。
すべて同じ「感じる命」
食べ物として見ているとき、私たちは、その奥にあった命を感じにくくなります。食べ物として扱われがちな存在も、本来はただの資源ではなく、「感じる命」です。
けれど、その命にも確かに「生きていた時間」がありました。安心を求め、苦痛を避けながら生きていた存在です。
例えば、名前を持たず、語られることもなく、スーパーマーケットで目にする肉や魚。それらのもととなった動物、労働を助ける馬やロバ、動物園やサーカスの動物、そして野生に生きるシカやイノシシ。これらすべてが動物です。
「動物が好き」と語るのであれば、そのすべてに思いを向ける視点があってもよいのかもしれません。そのことに気づいたとき、「動物」という言葉の意味が、少し変わって見えるかもしれません。
家畜は「動物ではない」のか?
「かわいいから守る」「食べるための存在だから仕方ない」
その違いは、命そのものの違いではなく、人間の側の都合によって生まれたものではないでしょうか。
同じように生き、同じように終わっていく命。その中に、線を引いているのは誰なのか。私たちは、その問いに向き合ったことがあるでしょうか。
彼らもまた、喜びや不安、恐怖、そして深い愛情を感じながら生きています。
- 牛は、群れの中で仲間同士で非常に強い絆を築きます。親しい仲間や家族と引き離されると、人間と同じように深く悲しむ様子を見せます。
- 豚は、犬よりも高い知能を持つとも言われ、その認知能力や問題解決能力は非常に優れています。喜びや興奮、恐怖など、非常に豊かな感情表現をすることで知られています。
- 鶏は、親鳥が雛に対し、まるで話しかけるかのように様々な鳴き声を使い分け、家族としての強い意識を持っています。群れの中での社会性も高く、複雑なコミュニケーションを取っています。
つまり、人間が日々「当たり前に食べている存在」も、感じ、関係を持ち、喜ぶことのできる命なのです。
本当の「動物好き」とは?
本当の意味で「動物が好き」とは、何でしょうか。
それは、種類や役割によって命を分けるのではなく、すべての命に対して、同じ視線を向けようとすることかもしれません。
- ペットとしての動物だけでなく、食肉にされる畜産動物や、漁獲される水産動物にも、同じ目線で思いを馳せ、彼らの存在と苦痛に心を寄せることができる人。
- 自分の消費が、どのような背景を持ち、どのような影響を与えているのか、決して無関心でいない人。知ろうと努め、考えようとする姿勢を持つ人。
- たとえ、現状すべての動物を救うことや、動物性食品を完全に排除することが困難であったとしても、彼らの苦しみを少しでも減らすための選択を、意識的に、そして継続的に実践しようと努める人。
すべてを一度に変えることは難しいかもしれません。
けれど、無意識のままではなく、「選んでいる」という自覚を持つことはできます。
知らずに続けるのか。知ったうえで選ぶのか。その違いは、決して小さくありません。
「動物好き」という言葉の重み
「動物が好き」という言葉は、軽やかに使われることもあります。けれどそれは、本来、命に対する態度そのものです。
もし、本当に好きだと思うのなら。
その「好き」は、どこまで届いているのでしょうか。
苦しむ命を少しでも減らしたい。一つ一つの命を最大限に大切にしたい。「本当の動物好き」は、計り知れないほど美しい意味合いが込められています。

あなたは、動物が“誰”なのか知っていますか?
SNSで動物に癒やされながら、食卓にある命には目を向けない。その違和感に、気づいている人もいるはずです。
もし、自分の手で命を奪わなければ食べられないとしたら、それでも同じ選択をするでしょうか。
「あなたが“好き”だと言うその動物は、一体誰ですか?」

ヴィーガンスタートが大切にしたいのは、「命そのもの」です。
失われた命は、二度と戻ることはありません。
すべてを一度に変える必要はありません。ただ、「当たり前」の裏側にある命に、少しだけ目を向けること。そして、次に何かを選ぶとき、問いかけてみてください。
「この選択の先に、犠牲のない選択肢はあるだろうか?」
その小さな問いが、あなた自身の「やさしさのかたち」を見つける一歩になるかもしれません。





