戦争と非暴力の思想|ヴィーガンが目指す平和と命の尊重とは?戦争はなぜなくならないのか?

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戦争と非暴力の思想

戦争のニュースが流れるたびに、私たちは胸を痛めます。なぜ人間はここまで利己的になってしまうのだろう、と。領土のため、資源のため、宗教や民族の違いのため、理由はさまざまに語られますが、結局は「自分や自分の集団を優先する」利己的な発想が根底にあります。

けれど、38億年におよぶ生命の歴史を見れば、そこにはまったく逆の姿が刻まれています。生物は「利己的」であったからこそ生き延びたのではなく、「利他的」であったからこそ進化してきたのです。

全ての国で、戦争のために、戦火の中に飛び込み戦う人に、人の道に背きたくて背き、悪逆な行為と知っていながら戦う人はいないでしょう。敵国が悪し様であるかのように語り、幼いころから摩り込まれてきた、贋造な捏造の神の名と、国の教育によって戦わなければならないと信じ、敵を殺しているのであり、真実を見ることができるのであれば、皆が武器を捨てて、敵の負傷兵を助けて道を歩くことができるでしょうか。

非暴力とヴィーガンの歴史的な関連

もともと、人間は、人間に対する暴力、すなわち戦争に対しても強い拒否感を抱いています。ヴィーガンの根底には「アヒンサー」(非暴力)の理念が流れています。特にインド哲学や仏教、ジャイナ教において強く唱えられるアヒンサーは、すべての生き物に対して暴力を行わないことを中心としています。

歴史的に見ると、ガンジーやトルストイなどの平和主義者がこの理念を広め、暴力を排除する社会運動と結びつけました。ガンジーは、動物製品を使用しないことと非暴力的な抵抗を結びつけた著名な人物であり、その活動はインド独立運動を平和的に進めるための基盤となりました。このように、非暴力主義はヴィーガン運動における重要な要素であり、戦争に反対するための倫理的な基盤として働いています。

反戦運動や平和主義は、ヴィーガンや動物の権利を擁護する活動としばしば重なり合ってきました。これは、両者が根本的に非暴力を重視する倫理的な価値観を共有しているためです。20世紀初頭の平和主義者や社会活動家たちの中には、動物の権利擁護や菜食主義、ヴィーガンを支持する人が多く、戦争や暴力に反対する運動においても積極的に発言しました。

現代でも、反戦運動とヴィーガン運動は、戦争が生み出す苦痛や死に対する抗議と、動物に対する虐待を共通の問題として捉えています。たとえば、アメリカやヨーロッパの一部のヴィーガン活動家は、戦争の倫理的問題と動物虐待を結びつけ、軍事産業が環境破壊を引き起こすだけでなく、人間にも動物にも苦痛をもたらしていると訴えています。

戦争の犠牲となる動物たち

軍事技術の開発において、動物実験が広く行われます。化学兵器、爆発物、さらには生物兵器の研究においても、動物が実験対象として使用され、その多くが苦痛や死を迎えます。これに対して、ヴィーガンは、動物実験に反対する立場をとり、軍事研究における動物利用を強く批判します。

さらに、軍事訓練の一環として動物が使用されるケースもあります。これは兵士に対する医療訓練の一部として行われることがあり、動物が傷を負わされたり、命を落としたりすることがあります。このような動物虐待に対しても批判が高まります。動物の犠牲に頼らない代替手段を求める運動は、ヴィーガンや動物権利活動家によって進められており、軍事訓練でも同様に人道的な方法が提唱されます。

動物実験が兵器開発に使用される場合、それは動物だけでなく人間の命をも危険にさらすことになります。動物実験を通じて開発された兵器が、戦場で実際に使用され、多くの人命が失われることを考えると、ヴィーガンの倫理は、このような軍事産業の非人道的な側面にも反対します。

そして、戦争が始まると、戦場になる地域の動物たちは逃げ場を失い、多くが命を落とします。戦争による爆撃や砲火、化学兵器の使用によって、野生動物や家畜、さらにはペットに至るまで、多くの動物が被害を受けます。例えば、第二次世界大戦では、ヨーロッパ各地で爆撃が頻繁に行われ、広範囲にわたる森林が破壊され、動物の生息地も壊滅的な被害を受けました。

また、戦争が終わった後も、地雷や不発弾が残されることで、人間だけでなく動物たちも危険にさらされ続けます。多くの野生動物や家畜が、地雷原に迷い込んで命を落とす事例は後を絶ちません。戦争は人間だけでなく動物にも甚大な苦痛と死をもたらすものであり、戦争に対する反対は、人間と動物の命を守るための闘いでもあります。

戦争では動物の命は考えない。

38億年の進化と共生の原理

最初の生命は、地球の海に漂う小さな単細胞で、その細胞が歩んできた進化の道は、競争ではなく共生に支えられてきました。

大きな細胞の中に小さな細胞が入り込み、エネルギー生産を引き受ける、それがミトコンドリアです。植物の細胞にある葉緑体も、光合成が得意な細胞を取り込むことで誕生しました。これらは「細胞内共生説」と呼ばれる、進化の大きな飛躍の証です。

もしこのとき、細胞同士が互いを排除していたら、今のような複雑で多様な生命は生まれなかったでしょう。進化の歴史は「敵を滅ぼす」ことではなく、「違う存在と共に生きる」ことによって動いてきたといえます。

植物が教えてくれる利他性

利他性をもっとも体現しているのが植物です。

植物は光合成をして、自分に必要な以上の有機物をつくり、酸素を放出します。葉は虫に食べられ、果実は鳥に食べられ、落ち葉は土壌の生き物を養います。穀物は人間に、草は草食動物に、そしてその草食動物を肉食動物が食べる。すべての命の循環の根源に、植物の「惜しみない分かち合い」があります。

もし植物が「自分の分だけでいい」と利己的にふるまっていたなら、この地球には動物も人間も存在できなかったでしょう。

戦争は「利他性の否定」

この観点から見ると、戦争は生命の本質に逆らう行為だとわかります。

戦争は自国や自民族のために他を犠牲にします。兵士や民間人を殺し、自然を破壊し、未来世代に苦しみを残します。これは「共生ではなく排除」を選ぶ態度であり、生命が本来持っている利他的な性質を裏切るものです。

言い換えれば、戦争は人間が「生命の進化の物語」から逸脱してしまった結果です。

戦争と環境破壊

さらに深刻なのは、戦争が環境を破壊することです。

爆撃によって森林が焼かれ、農地が荒廃します。化学兵器や放射性物質が土や水を汚し、そこに生きる動植物や人間に長期的な被害を与えます。大量の軍事活動は、石油を燃やし、大気汚染や温暖化を加速させます。

植物が築いてきた「炭素循環」を支える仕組みを、人間は戦争によって無惨に壊してしまっているのです。

戦争と資源の消耗

多くの戦争は、資源の支配や経済的な利益を求めて行われます。現代の戦争は、大量の温室効果ガスを排出し、地球環境に悪影響を及ぼします。軍事活動や兵器の製造は、石油を大量に消費し、金属、化学物質などが使われます。これらの資源は、平時であれば食糧生産や再生可能エネルギーの開発に使用される可能性がありますが、戦時には兵器の製造に優先的に使われてしまいます。さらに、戦争が終わった後の復興においても、環境への負荷は大きく、破壊されたインフラや建物を再建するために多くのエネルギーが必要とされます。

軍事活動による二酸化炭素の排出量が増加すれば、気候変動が加速し、さらなる環境災害を引き起こすリスクが高まります。これにより、戦争が環境問題を悪化させ、それが再び新たな紛争を引き起こす悪循環が生まれる可能性があります。

たとえば、未来の戦争は水や食料資源を巡る争いが増加するとの予測があり、気候変動による自然災害がそのリスクをさらに高めます。

未来の戦争

ヴィーガンと平和の思想:動物と人間の両方に対する暴力を拒否する

ここで、ヴィーガンという生き方を考えてみましょう。

ヴィーガンは「動物を犠牲にせずに生きる」という選択です。それは、命を奪わずに共生を大切にする利他的な行為です。この思想を広げていけば、「人間同士も犠牲にしない」生き方へとつながります。

  • 動物を殺さない → 人間を殺さない
  • 動物を搾取しない → 他国や民族を支配しない
  • 環境を守る → 未来世代を守る

ヴィーガンの倫理と平和の倫理は、同じ利他性の根から育っています。

「頂点の錯覚」を超えて

人間はしばしば「食物連鎖の頂点にいる」と考えます。戦争もまた、「自分たちが他を支配できる」という傲慢さの延長にあります。

しかし実際には、人間は植物の光合成と炭素循環に支えられた存在にすぎません。利他性に生かされています。頂点にいるのではなく、生命の輪の一部にすぎない。

その理解を深めることは、戦争をやめる大きなきっかけになるでしょう。

戦争のない未来は「共生の進化」

ミトコンドリアや葉緑体が共生から生まれたように、人類の未来の進化もまた「共生」を軸にしています。

戦争をやめることは、人類が「利己的な生存」から「利他的な共生」へ進むための新しいステージです。それは過去の進化の流れに逆らうのではなく、むしろ沿っているのです。

未来を生きる子どもたちに必要なのは、軍事力ではなく「共生の力」です。

終わりに─生命の利他性から平和を学ぶ

植物が自らのいのちを支えつつ、惜しみなく他者に恵みを与えるように、人間もまた「利他性」に立ち戻る必要があります。

戦争はその正反対─奪い、壊し、憎しみを生む行為です。けれど、人間が本来の生命の原理を思い出すなら、戦争のない世界は決して夢ではありません。

ヴィーガンの生き方が「動物との共生」を選ぶように、戦争をやめることは「人間同士の共生」を選ぶことです。

すべてはつながっています。

  • 植物が示す利他性 → 環境を守ること
  • 動物を食べないこと → 動物と共生すること
  • 戦争をやめること → 人間同士が共生すること

38億年続いてきた生命の物語を、これからも続けていくために。
私たちは、利他性に基づいた「共生の未来」を選ぶことができるのです。

まとめ

誰も、自分が数時間後に肉片となって散ることなど、想像すらしないでしょう。

しかし現実には、戦争やテロが繰り返されています。その背景にはしばしば「神の名」が持ち出され、宗教が絡み合うことで解決は極めて難しくなります。だからこそ、人類の歴史において戦争もテロも決してなくならなかったのです。

では、いつになればこのような惨禍は終わるのでしょうか。容易なことではありません。しかし、人間の胸の奥には「良心」という神が宿っています。その声に耳を傾け、憎しみや欲望を抑え、謙虚に生きることができれば、争いや戦争は消えていくでしょう。

自分と他者は絶望的に違っている─その現実を受け入れたうえで、人間に与えられた最高の力「話し合い」を用いれば、紛争は解決できるかもしれません。今この瞬間も、世界のどこかでは戦火に苦しみ、嘆きの声を上げている民衆がいます。

その一方で、戦争の裏には必ず利益を得る者たちがいます。戦争で財を築く人々が、国家や宗教指導者に働きかけ、戦争が終わらないよう仕向けていることもあるのです。遠く離れた場所から、戦争をより大きくするよう、さまざまな活動を続ける者たちも存在します。

宗教の違いや領土問題は、しばしば「偽りの理由」として巧みに利用されます。民衆に向かって「敵国の宗教は我が神を冒涜している」などと語るのは、真の神ではありません。宗教を利用する指導者の言葉です。そしてそれが教育の名のもとに、幼いころから人々の心に叩き込まれていきます。

幼いころから刷り込まれた誤った教えは、言葉だけではなかなか解けません。だからこそ、武器を捨て、勇気をもって「戦争は誤りである」ということを行動で示す必要があります。その姿を通して、一人でも多くの人に「戦争は間違いだ」と気づかせることはできるのです。

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