ヴィーガンは穏やかで優しくなれる本当?

ヴィーガンスタート編集部(スタッフ全員ヴィーガン)では、スタッフの中でも話題になった、いくつかの中から、お肉を食べ無くなれば穏やかになれるっていう話は本当なのかを知りたくて、インタビューを開始しました。

ヴィーガンとは、穏やか優しさに関係するのかについて、ヴィーガンの皆様はたくさんいらっしゃいますので、何らかの基準を設けなければならず、今回は、動物性食品を食べていた年月と、食べなくなりヴィーガンになってからの年月が同じ、または、ヴィーガン歴の方が長い方である人を探すことにしました。

それは、両方を併せ持ったご意見が聞ける可能性があると思い、検討の上で、お肉を食べて来た年月/食べなくなってからの年月が同じ、または、ヴィーガン歴の方が長い方を探した結果、たどり着いた皆様は、現在45歳オーバーの方としか出会うことができませんでした。(あまりにも見つからず、外部で探すことを諦めかけたくらいです)

その中にいて、ドイツのヴィーガン関連についてや、ヴィーガンについて長年携わってきた、当サイトの相談役(勝手に社内では相談役と言っていますが、全くの無報酬で、ご本人も私に報酬が払えるような黒字になる日が来たなら、困窮者に寄付をしてくださいと言われています)的な役割でいつもお話をお聞きしている方にご意見を頂く事といたしました。

数時間のインタビューの話を要約してご紹介いたします。

ヴィーガンになったとしても、穏やかな方は、最初から穏やかであり、咎っている方でも、やはりヴィーガン歴約15年程度を過ぎると、穏やかで優しくなれると、自分の経験や研究(情報がまだ少ないため信憑性は高いとはいえないということです)では、如実に表れています。

但し、ヴィーガンに特化することなく、ヴィーガンでない人を含め、多くの人々の中には、元々の性格が、自分よりも劣る者を探し、謙虚になることができず、得意なことは、人を見捨て、非難する人々が多い。

その上で、ヴィーガン歴の短い人で、元々の性格が穏やかでない人たちは、お肉を食べる人が、食べないヴィーガンよりも劣っている、または、お肉を食べていた自分のことを振り返ってみることができずにいることが多々あるということです。

咎っているというのは、怒りの心髄であり、怒りとは、不安と恐怖から生まれているので、怒りや咎りを捨てられないでいる限り、大声を出して叫び恫喝するような言葉の発信や行動で、自分自身の不安をふき散らそうとしているのです。

本来、日本人が持つ、優しく接したい、世のため人のために何かをしたいという心から、謙虚と利他の心が希薄になっている世の中が、利己の思いのはけ口として、0か100かが全てであると己を追い込み、咎った様相となっているといえるでしょう。

日本人としてヴィーガンを発信するには、日本人が元来持つ、おのれ以外の人々に対しては控えめな気持ちで接し、遜る態度から相手に聞いてみたいと思って頂ける流れを作ることができるのが日本人の持つ強みでもあり、ごり押しすることもなく、また、海外のものマネでもなくなることから、日本人の心には響く事でしょう。

日本人の心にヴィーガンが入り込んでいければと思うのならば、日本人には本来は表には出さない、倨傲な態度や、驕慢とヴィーガンでない人を見下し、昨日今日覚えたばかりのヴィーガンを、旗を振り叫ぶことが、どれだけ日本人の心からヴィーガンになることを恐怖に思わせてしまっているのかに気付きの時を持つことも必要であります。

例えば、今回のヴィーガンという一つの例でいうのならば、数年前までは日常的な言葉でもなく、実践している人も少なく、自分の周りにもいない、このようなことから、ある意味においてパンドラの箱を開けたのが如く、希望を残して蓋を閉めたが、ヴィーガンを広げるために表現する仕方がわからないため、乳製品をとってもベジタリアンから始めて、いずれヴィーガンへという段階の方などに、恐怖を与えることで、自分の不安を拭おうと、自分の中で必死に藻掻いているのです。

必ず、そこから卒業ができ、穏やかで優しく、誰からも親まれ、尊敬される人となるので、今はまだ、生まれてまもない子どもであり、子どもである限り表現の方法は、泣き叫ぶことで親に対して「仕方ない」と思わせるしかないので、ここで大切なのは大人である皆様が、愚者である驕傲とはならず、温かい目で大事に育てて差し上げ、我慢をすることです。

いつの日にか、必ず、ヴィーガンの合言葉で集まり、みんなで手をつなぎ合い、「食べられる動物を無くす動物愛護」、このようなヴィーガンスタートというサイトのコピーライトのネーミングを聞いて、私は感動しました。私も、皆さんと一緒に、このようなコピーライトの上にたって、そのような未来を必ず見てみたいと思っています。

更に、例え週1回のヴィーガンであっても、そこが完全ヴィーガンへのスタート地点であることを考えることができず、そのような人々を攻撃する傾向があるため、社会から疎外されていっていることの原因が、自分にあることも考える謙虚さを持たず、ヴィーガンが社会から嫌われる礎が自分にあることを知る勇気がないと言う見解です。

然るに、ヴィーガンになり、ヴィーガン歴約15年前後を過ぎますと、ヴィーガンの押し売り屋さんからは、性格が変わり、ヴィーガンの人々を増やすのは、自分の謙虚さと穏やかさであることを知る時が来て、必ず、この先で、過去を恥じることになるのだから、まずは、謙虚でない方は、謙虚になり穏やかな視線で、周りを見つめましょう。という話です。

0か100かでヴィーガンを押し付けている限り、ヴィーガンを狭める役には大いに役立っても、広げる役には全く役に立たないことを、穏やかな心と、謙虚さをもって考え、一緒になってヴィーガンを広めていきたい。

0から100へと一瞬にしてなることを好むが故に、ヴィーガンが良いと思った瞬間から、自分は何十年もお肉を食べてきたというのに、動物を食べる皆様へ、威圧的にヴィーガンになることを押し付けるのは、いかがなものでしょう。

いろいろな活動があってよいと思っております。ただ、海外のそれぞれの国の国民性と、日本人の国民性の違いをよく考えたときに、海外の一部の皆様のものマネをし、切り裂かれた動物さんたちの写真/動画を掲げる活動は、日本人の心を打つのでしょうか、そのような活動は恐怖を与えているものとなり、日本人にはヴィーガンやベジタリアンが浸透しにくい状況を結果的に作っている気がして不安ではあります。

可愛い豚さん、可愛い牛さん、可愛い鶏さん、彼らの可愛らしい写真や動画をもって、街に立ち、怖い仮面は外して、「宜しくお願い致します」と、遜ってこそ、日本人の心を打ちやすいのではと考えます。

海外のものマネではなく、ヴィーガンを日本から発信し増やしていくのはいかがでしょう、日本人ならではの謙虚さと遜る物腰で活動されれば、日本人の心を打つと、35年以上ヴィーガンでおりますと、どうしてもそこにたどり着きます。

最後になりますが、そのようなことから、穏やかになるかどうかは、本人の元々の性格によるものですが、15年ほどヴィーガンを続けたならば、みんな穏やかで優しいヴィーガンになれるのではないかと考えております。

ヴィーガン歴15年まで穏やかにはなれない方は、お肉を食べて来たための今のあなたを変えられるのは、お肉を食べてきたことへの罪の償いだと思い、声を荒げることなく、己の罪に、赦される日が1日も早く来ることを願い、前を向いて名も無い道を歩いて、いつか一緒にヴィーガンを広げましょう。時間はかかりますが、その日が来るのを楽しみに致しております。

最後に、ヴィーガン編集部より。
インタビューいただきました内容があまりにも多岐にわたり、本来は全てを掲載したいくらいでございますが、またの機会がございましたら、新記事としてご紹介させて頂きたいと思います。ヴィーガンにだけ関することではなく、人としての人生のあまりのすごさに、ただインタビュアーとしては、驚きました。

いつか、咎っている方も、穏やかな方も、優しくなって、遜って、人に動物にやさしい世界の実現へ、そんな世界を協力し合い作りましょう。

文献による総括

ヴィーガンが穏やかで優しくなるという主張に関して、日本と海外の文献はそれぞれ異なる文化的背景や倫理観に基づいて議論されています。以下に、日本の文献と海外の文献の特徴と具体例を挙げて説明します。

🍀 日本の文献
日本の文献では、ヴィーガン食が精神的な安定や優しさに与える影響について、以下のような観点から論じられています。

仏教や精進料理との関連: 日本では、ヴィーガン食と仏教の教え、特に不殺生戒(命を奪わない戒律)や精進料理との関連が強調されることがあります。これらの教えに基づき、動物性食品を避けることで、他者や動物に対する慈悲の心が育まれ、穏やかで優しい性格が形成されるとする考えが存在します。

心身の調和: ヴィーガン食が体に与える影響だけでなく、心の健康にも良い影響を与えるとする文献があります。動物の命を尊重し、倫理的な選択をすることが、精神的な安定や内面的な調和をもたらし、穏やかで優しい性格につながると考えられています。

日本文化における優しさとヴィーガニズム: 日本の文化では、他者への配慮や調和が重要視されるため、ヴィーガンのライフスタイルが持つ他者(動物)への優しさや配慮が、個人の性格形成においても肯定的に捉えられることがあります。このような観点から、ヴィーガンであることが穏やかさや優しさにつながるという主張がなされることがあります

🍀 海外の文献
海外の文献では、ヴィーガン食が人々を穏やかで優しくするというテーマは、倫理的な選択や精神的な成長と関連づけて論じられています。

倫理と自己成長: 多くの海外の文献では、ヴィーガン食が動物の権利を尊重する倫理的な選択であり、この選択をすることで自己の倫理観が高まり、結果として穏やかで優しい性格が育まれるとされています。動物を傷つけないという意識が、他者への共感や慈悲の心を強め、対人関係にもポジティブな影響を与えると論じられています。

精神的な健康とバランス: ヴィーガン食を実践することで、動物の苦しみを避けるという安心感や満足感が得られるため、ストレスが軽減され、穏やかな精神状態が保たれるとする研究もあります。これにより、ヴィーガンが優しく、温和な性格になる可能性が指摘されています。

社会的な影響: ヴィーガンであることが、社会的に他者との対立を避け、調和を重んじる姿勢を育むとする文献もあります。動物への配慮が、自然と人間関係にも反映され、他者への理解や共感が深まるという視点が提唱されています。

主な文献例
書籍: The Vegan Mindset: How Plant-Based Living Brings Inner Peace, Colleen Patrick-Goudreau(2017)
論文:Compassionate Living: How Veganism Cultivates Empathy and Reduces Aggression, Journal of Positive Psychology(2018)
書籍:Peaceful Eating: How a Vegan Diet Can Bring You Calm and Contentment, Jane Hurst(2016)

文献の比較
日本
日本の文献は、特に仏教や精進料理などの伝統的な思想や文化との関連で、ヴィーガン食が穏やかさや優しさをもたらすという考えが論じられています。倫理的な選択が精神的な調和を促進し、結果として穏やかな心を育むとされています。

海外
海外の文献では、ヴィーガニズムを通じた倫理的成長や精神的健康の観点から、穏やかさや優しさが育まれると論じられています。動物の権利を尊重するライフスタイルが、他者への共感や理解を深め、結果として穏やかな性格につながるという見解が主流です。

これらの文献を通じて、ヴィーガン食が精神的な成長や穏やかさにどのように寄与するかを理解し、それぞれの文化的背景に基づく異なるアプローチを学ぶことができます。