動物園や水族館は本当に必要?ヴィーガンの視点で見直す命との向き合い方

はじめに ― 優しいまなざしで問い直す

「あなたは動物好きですか。」動物好きではなく、犬さんと猫さん小鳥や錦鯉や熱帯魚などペットして飼う動物が好きなだけで、動物を食べてはいませんか。

動物園や水族館に足を運んだことがありますか?そこでは、普段見ることのない動物たちに出会い、命の神秘や自然のすばらしさを感じられる機会があるかもしれません。小さなお子さんにとっては、初めて見るゾウやイルカに胸をときめかせる、そんな特別な体験になることもあるでしょう。

けれどその一方で、少しだけ立ち止まって考えてみませんか。私たちがその姿を楽しんでいる間、動物たちはどう感じているのか、自由を奪われたその生活に、何が起きているのかを。

ヴィーガンという生き方は、「動物を利用しない」「動物を苦しめない」ことを大切にする考え方です。それは食べ物だけに限らず、着るもの、使うもの、そして娯楽にいたるまで、あらゆる選択において動物の立場を思いやろうとする姿勢に支えられています。

このページでは、ヴィーガンの視点から動物園(鳥たちも含め)や水族館(魚介類も含め)について一緒に考えてみたいと思います。決して非難や否定をするためではありません。ただ、ほんの少し目線を変えてみることで、「動物との共生」という本当の意味に気づけるかもしれないからです。

ヴィーガンの理念と「動物を利用しない」という選択

ヴィーガンという言葉を聞くと、多くの方はまず「お肉や魚を食べない人」といった食のイメージを思い浮かべるかもしれません。でも、実はその背景にはもっと深い「やさしさ」の哲学があります。

それは、「動物をただの資源ではなく、ひとつの尊い命として見つめること」。そして、その命を人間の都合で使ったり、搾取したりすることをやめてみようという呼びかけです。

動物園や水族館では、動物たちは自分の意思ではなく人間の都合で展示されます。たとえ「教育のため」「保護のため」という目的があったとしても、動物にとっては自由を奪われ、見られ続ける日々が続いていきます。

ヴィーガンの視点からは、どんなに善意であっても、「他の命を人間の利益のために使う」ことそのものに、やさしさの欠けた側面があるのではないかと考えられるのです。

動物園・水族館はなぜ生まれたのか

昔は「力の象徴」だった動物たち
動物園の起源はとても古く、紀元前3000年ごろのメソポタミアやエジプトにさかのぼります。当時は王族や支配者が自分の権力や豊かさを示すために、珍しい動物を集めて人々に見せていました。いわば「コレクション」としての展示だったのです。

水族館ができたのはもう少し後の19世紀。こちらも当初は「科学の進歩」や「学びの場」として作られましたが、その根底には「自然を制御できる存在としての人間」という発想が見え隠れしています。

近代の変化とその限界
時代が進むにつれて、動物園や水族館も変化してきました。「ただ見せる」だけではなく、「教育」や「種の保存」を目的とする取り組みも多くなってきたのです。

けれど、ヴィーガンの立場から見ると、それでもやはり「人間のための動物利用」に変わりはないと感じる人が少なくありません。教育や保全という言葉がどれほど立派に聞こえても、それは「人間中心」の価値観の上に成り立っているもの。動物の自由や尊厳に真に寄り添った考え方とは言いがたい面があるのです。

飼育環境と心の苦しみ ― 動物たちはどう感じているのか?

本来の姿とはかけ離れた暮らし
動物たちはそれぞれ、本来の生き方があります。ゾウは一日に何十キロも歩き回り、広い範囲で仲間とコミュニケーションを取りながら暮らす動物です。でも、動物園の中では限られたスペースしか与えられず、そのような自然な行動を取ることは難しくなってしまいます。

同じことはイルカやシャチにも言えます。彼らは広大な海を自由に泳ぎ、複雑な音で仲間とやりとりする高い知性を持つ生き物です。それが、人工の狭いプールに閉じ込められることは、まるで人間が一生を小さな部屋で過ごすようなもの。心にも体にも、大きなストレスがかかると言われています。

「ズーチョシス」と呼ばれる苦しみ
みなさんは「ズーチョシス(zoochosis)」という言葉を聞いたことがありますか?これは、動物園や水族館など、自然とはかけ離れた環境に置かれた動物たちが見せる、異常な行動のことを指します。

たとえば、同じ場所をぐるぐる回り続けたり、自分の身体をかんだり、無気力で動かなくなってしまったりする姿です。これは、ただの「退屈」ではなく、深いストレスや孤独、恐怖によって心が悲鳴をあげている状態とも言えるのです。

水族館と海の生きものたちの静かな訴え

水族館という場所には、透明な水槽の向こうで泳ぐイルカやシャチの姿があります。彼らの美しい動きに見とれ、つい笑顔になってしまうかもしれません。でも、そのキラキラした水面の奥に、ふだん私たちが気づきにくい「心の声」があることを、そっと思い出してみてほしいのです。

映画『ブラックフィッシュ』では、有名なシャチ「ティリクム」の物語が語られています。ティリクムは、水族館での長い飼育生活の中で、次第に攻撃的な行動を見せるようになりました。その背景には、長年にわたるストレスや、仲間と引き離された孤独があったのです。

シャチやイルカたちは、とても賢くて、家族との絆が強い生き物です。本来なら、何百キロも泳ぎ回り、仲間と歌うように鳴き交わして暮らしています。そんな生き物が、狭いプールの中で人間のためのショーをくり返す生活は、心と体の両方に大きな負担をかけてしまうのではないでしょうか。

「教育」という名の矛盾 ― 本当に学んでいることは何でしょう

動物園や水族館はよく「命の大切さを学ぶ場所」として紹介されます。「動物を実際に見ることで、子どもたちは自然や命の尊さに触れることができる」と。

でも、ヴィーガンの立場からは、少し違った見方があります。動物たちが本来の生き方を失い、檻や水槽の中に閉じ込められているその姿を見て、「命の大切さ」を本当に学べるのでしょうか。

むしろ、「他の存在は人間のために使っていいんだ」という考えが、知らず知らずのうちに子どもたちに染み込んでしまう可能性があります。そしてそれは、やさしさや思いやりとは少し遠い学びかもしれません。

命を尊ぶというのは、ただ「かわいい」と思うことではなく、その存在の自由や幸せを願うこと。そうであるならば、動物を「見世物」にすることではなく、「そのままの姿をそっと見守る」ことの方が、もっと深い学びにつながるのではないでしょうか。

日本の動物園・水族館が抱える現実とこれから

日本には、現在80か所以上の動物園と、100か所を超える水族館があると言われています。たくさんの人々が訪れ、特に休日には親子連れの姿が絶えません。

その一方で、日本の施設では、動物たちに過度なストレスがかかるような演出やイベントがまだ多く行われています。たとえば「ふれあい体験」や「イルカショー」など、見ている人にとっては楽しい時間かもしれませんが、動物にとってはどうでしょうか。

また、日本の動物愛護法はまだ十分とはいえず、動物の飼育環境や福祉の基準が国際的に見て低いと指摘されることもあります。動物たちの「見えない声」をきちんと聞いていくためには、法制度の見直しや社会全体の意識の変化が求められています。

海外の取り組みと、やさしい未来へのヒント

いま、世界のいくつかの国々では、「動物たち(魚介類を含め)を見せ物にすること」そのものに対して、真剣な問いかけがなされています。そして、その答えのひとつとして、多くの国が動物を娯楽目的で利用する文化から、静かに、でも確実に距離を置き始めているのです。

カナダ

2019年、カナダでは「クジラとイルカの飼育を終わらせるための法律」が成立しました。この法律により、イルカやシャチなどの新たな飼育、繁殖、そして輸入が禁止されました。すでに飼育されている個体については例外として認められていますが、これから先、同じようなことが繰り返されないようにという願いが込められています。

インド

インドでは、2013年に環境森林省が「イルカは人間以外の人格(non-human person)であり、尊重されるべき存在である」とする立場をとり、イルカを飼育することやショーを行うことを禁止しました。この考え方は、動物に心があることを大切にした、深い思いやりに基づいています。

フランス

2020年にはフランス政府が、イルカやシャチによるショーを2026年までに段階的に終了することを決めました。また、新たな個体の繁殖や輸入も禁止されることになり、動物たちがこれ以上ショーに使われることのないように配慮がなされています。

メキシコ

メキシコでは2022年に法律が改正され、イルカやシャチなど海の哺乳類を商業目的のショーに使うことが禁止されました。すでに飼育されている個体については生涯にわたって保護されますが、新たに見世物として使うことはできなくなっています。

スペイン

2022年、スペイン政府は「動物福祉法案」を発表しました。その中で、動物園を野生動物たちのリハビリセンターへと変えていくという大きな目標が掲げられています。また、野生動物を使ったサーカスも禁止されることになり、人間と動物がより自然な関係でいられるような未来が描かれています。

イタリア

イタリアでは、2017年にサーカスでの動物の使用を禁止する法案が可決されました。そして2022年には、憲法に「国家は動物と自然環境を守る責任がある」という文言が新たに加えられました。これは、国全体として動物たちの幸せを大切にしていこうという強い意志のあらわれです。

イギリス

イギリスでも2024年に動物福祉法が改正され、象の飼育や繁殖をやめる方向へと進み始めました。さらに、動物園や水族館における動物の展示の仕方についても、より厳しい基準が設けられました。これは、動物たちが本来の生活に近い形で過ごせるようにするための大切な一歩です。

動物園や水族館の裏側には、動物たちの自由な行動が制限されたり、心身にストレスを抱えてしまうという問題もあるのです。こうした事実を多くの人に伝え、よりよい未来を築くための活動が今も世界中で続けられています。

こうした法整備の背後には、科学的知見とともに、市民一人ひとりの「優しさ」があります。動物の感情や社会性に関する研究が進むにつれ、「水槽の中で泳ぎ続けるイルカの孤独」や「狭い檻の中で生活するトラのストレス」など、これまで見えづらかった苦しみに対して、ようやく目が向けられるようになってきたのです。

そして、テクノロジーの進化が、新しい選択肢を私たちに届けてくれています。
AR(拡張現実)やVR(仮想現実)を活用した「バーチャル動物園」や「没入型の自然体験」が登場し、動物を捕らえたり、輸送したりすることなく、まるで本当にそこにいるかのようなリアルな観察体験が可能になってきました。

これらの技術では、ユーザーが動物の生息地に「訪れる」ことができます。たとえば、南極に生きるペンギンの群れのそばに立って観察したり、アフリカのサバンナでゾウの親子が水を飲む様子を間近に感じたりすることもできるのです。しかも、動物にストレスを与えることなく、自然の姿を尊重した形での学びが実現されます。

こうした取り組みは、動物を使った従来の「教育・娯楽」の在り方に対して、新しい選択肢を示しています。動物を檻に入れて見せるのではなく、そのままの姿を尊重しながら、私たちは学び、感動し、つながることができる――そんな「やさしさと好奇心の共存」が、すでに世界のあちこちで芽生えはじめているのです。

もしかしたら、これが新しい未来の第一歩なのかもしれません。動物を苦しめることなく、技術と知恵で心を育てる時代へ。
私たち一人ひとりの「知りたい」「感じたい」という気持ちは、必ずしも動物の犠牲の上に成り立つ必要はないのです。

そして、世界のこうしたやさしい変化の波は、いつか日本にも、もっと大きく届くかもしれません。そう信じて、いま私たちができることを、静かに選んでいきたいですね。

動物園・水族館に代わる“やさしい選択肢”

ヴィーガンの考え方では、「見ること」よりも「守ること」を大切にしています。つまり、展示ではなく「保護」が主役なのです。

世界各地には、野生動物たちが自然に近い環境で暮らす「保護区」があります。そこでは、人間が動物に無理をさせるのではなく、必要最低限の距離を保ちながら見守ることが基本です。これは動物にとっても、そして私たちにとっても、より健全な学びの場になっていくでしょう。

また、最新の映像技術や3Dホログラム、生態系を再現した展示など、「実物を使わない展示」もどんどん進化しています。動物の自由を奪うことなく、私たちの好奇心や探求心を満たしてくれる、そんな時代がすぐそこまで来ているのです。

子どもたちにはどう伝えたらいいの

「動物園に連れて行かないのはかわいそうかもしれない」と思う親御さんもいらっしゃるかもしれませんね。でも、子どもたちは思った以上に、動物の気持ちや痛みに敏感で、やさしい心を持っているものです。

無理に「行かせない」ことよりも、「なぜ行かないのか」をやさしく話してみることが大切です。「本当は自由に暮らしたい動物たちが、狭い場所に閉じ込められているんだよ」と伝えれば、子どもたちもきっと、その気持ちを受け止めてくれるはずです。

代わりに、絵本や自然観察、ドキュメンタリー映像など、動物の世界を知る手段はたくさんあります。むしろ、「命にやさしい選択をすること」こそが、豊かな心を育てるきっかけになるのではないでしょうか。

「動物園」「水族館」から動物を救う時に、そこで働く人々のその後を考える

「動物園」「水族館」から動物だけを救い出すことでは、本当の意味での救いとは言えません。
・「動物園」「水族館」から救われた、動物の行き先を考える。
・「動物園」「水族館」で働いてきた就労者の人々に寄り添った形での新しい新しい仕事を見つけるため、国や地方自治体への働きかけなども同時に行い、しっかりとした働く人々の道筋作りがなければなりません。

重要なことは、動物のその後の行き先を探していることと、今まで動物がいたから、そこでの仕事はありましたが、動物がいなくなり、「動物園」「水族館」がなくなれば、そこで働く人たちは路頭に迷うことになりかねません。

そこで働いてきた人たちの新しい仕事を、働く一人一人のお話を聞き、その方、その方にあった次の仕事を探せる仕組みを作ることも同時に行わなければ、単純な「動物園」「水族館」での動物利用の「反対」「反対」と叫ぶだけの愚かな運動になってしまうかもしれません。

最後に ― 動物と私たちが、ともに生きるということ

動物園や水族館のことを考えるとき、それはただ一つの施設の問題にとどまらず、私たち人間が「他の命とどう向き合うか」という、とても大きな問いへとつながっていきます。
娯楽や教育という名のもとに、私たちは動物の自由を奪ってもよいのか。命の尊さを本当に伝えたいなら、どんな形で学ぶのがふさわしいのか。これらの問いに、ひとつの正解はありません。でも、立ち止まって考えること自体が、すでにとても大切な第一歩です。

ヴィーガンの哲学は、他の生き物を思いやり、「共に生きる」ことを目指しています。すべての命が、そのままの姿で尊重される社会へと進むために。私たち一人ひとりのやさしい選択が、その未来をつくっていくのです。

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