ヴィーガンとサーカスの真実|動物を使わない新しい楽しみ方とは?

サーカスとヴィーガンが重なる場所って?

サーカスに行ったことがある方なら、きらびやかなステージや、動物たちのパフォーマンスに、心が躍ったことがあるかもしれません。大きなテントの中で繰り広げられるショーは、まるで夢のような世界です。空中を舞うアクロバット、大きな拍手、観客の笑顔。そして、ゾウやライオン、馬たちが人の合図に合わせてパフォーマンスをする姿、そんな風景を見て、「すごいな」「かわいいな」と思ったことがあるかもしれません。

でも、もしその動物たちが「やりたくてやっている」わけではなかったら?
もし、その練習の裏で痛みや怖さを感じていたとしたら?
そう思うと、今までの見え方が少し変わってくるかもしれません。

ヴィーガンの考え方は、「動物たちも私たちと同じように、自由に生きる権利があるよね」とするものです。動物が見せている笑顔のような仕草の裏で、本当は何を感じているのか。それを想像してみることが、やさしさの第一歩かもしれません。

このページでは、サーカスでの動物のあり方を、ヴィーガンの視点から見つめ直し、もっと思いやりのある、未来に向けた楽しみ方についても一緒に探っていきます。
もしよかったら、最後までゆっくり読んでみてください。

ヴィーガンってなあに? 〜動物たちを支配しない生き方〜

「あなたは動物好きですか、動物好きではなく、犬さんと猫さん小鳥や錦鯉や熱帯魚などペットして飼う動物が好きなだけで、動物を食べてはいませんか。」

「ヴィーガン」という言葉、耳にしたことはありますか?
これは、動物をなるべく苦しめずに、やさしい気持ちで暮らしていこうという生き方のことなんです。

たとえば、お肉や魚、卵、牛乳、蜂蜜などの動物性の食べものを避けるだけでなく、動物実験された化粧品や、革や毛皮の製品も使わないように心がけています。
暮らしの中で、動物たちを「あなたは動物好きですか、動物好きではなく、犬さんと猫さん小鳥や錦鯉や熱帯魚などペットして飼う動物が好きなだけで、動物を食べてはいませんか。」ものではなく「誰か」として大切にしたい―そんな気持ちから生まれた考え方です。

動物にも心があるって、知ってた?
ヴィーガンの人たちは、動物たちにも私たちと同じように心があると信じています。
痛い、怖い、うれしい、安心する―そんな感情を感じる力は、犬や猫だけでなく、牛や豚、鳥や魚、ウサギ、ゾウ、そしてタコにもあるんです。

実はこれは、科学の世界でも認められていて、2012年には「ケンブリッジ宣言」という形で、動物たちの“感じる力”があると発表されています。

だからこそヴィーガンの人たちは、どんな動物にもやさしく、思いやりを持って接したいと考えています。

動物を「支配しない」ってどういうこと?
昔から人間は、動物を食べたり、見世物にしたり、服にしたりしてきました。でもヴィーガンの考えでは、「動物は自分たちのために存在しているわけじゃないよね?」と問いかけます。

サーカスで芸をさせたり、動物園で檻に入れて見たり、狩りをして楽しんだり……。
そうした行為は、動物の自由を奪う「支配」だと考えて、見直していこうとする動きもあります。

動物にだって「差別しない」心を
私たちは犬や猫が苦しんでいるのを見ると胸が痛くなります。でも、豚や牛が苦しんでいても「食べものだから仕方ない」と感じてしまうことはありませんか?

ヴィーガンは、こうした「動物の種類で差をつけること」にも疑問を持っています。
これは「種差別(しゅさべつ)」と呼ばれ、人種差別や性差別と似たような問題だと考えられているんです。

たとえば、サーカスで芸をするゾウやトラを「かわいい!」と思っても、彼らがどれほど厳しい訓練を受けているかまでは、あまり知られていません。
でもヴィーガンは、そうした無関心こそが「見えない差別」だと気づいてほしいと思っています。

サーカスと動物の長い歴史

サーカスって、ずっと昔からあるんです。
はじまりは、なんと古代ローマの「サーカス・マキシムス」と呼ばれる場所までさかのぼることができます。そこでは、戦車のレースや、動物と剣を持った人との戦いといった、大がかりで残酷なショーが行われていました。
今では考えられないようなことですが、当時はそれが「娯楽」とされていたのです。

そして時代が進んで18世紀ごろになると、今のサーカスのような形がヨーロッパで生まれます。この頃からも動物たちは欠かせない存在として扱われていました。ゾウやライオン、クマなど、普段見られないような動物たちが、人間のために芸をするように仕込まれ、ショーの「目玉」とされてきたのです。

産業が発展すると、サーカスはどこへでも移動できるようになります。でもその裏で、動物たちはトラックや列車に詰め込まれ、長い距離を移動させられたり、狭くて暗い場所で過ごすことになったり――そんな大変な生活を強いられることも増えていきました。

つまり、サーカスの歴史を振り返ると、そこには「人間の楽しみのために、動物たちが自由を奪われてきた歴史」があったのです。
きらびやかなショーの裏側で、動物たちがどんな気持ちで過ごしてきたのか――少しだけ、想像してみませんか?

サーカスの動物たちがかかえる現実―その苦しみと支配のかたち

サーカスで動物たちが芸をしている姿を見ると、つい「すごいな」「かしこいな」と思ってしまうかもしれませんね。
でも、その芸を覚えさせるために、どんなことが行われているか、少しだけ想像してみてください。

じつは、多くの場合で使われているのは「やさしい教え方」ではなく、「怖がらせたり、痛みを与えることで従わせる」やり方です。
たとえば、ゾウに使われる「ブルフック」と呼ばれる尖った棒、ライオンを鞭で打つこと、犬に電気ショックを与える訓練など……。こうした道具や方法が、世界中で問題になってきました。

さらに、サーカスの動物たちは広い場所で自由に動き回れるわけではありません。
ほとんどの場合、狭い檻の中に閉じ込められ、運動も、仲間と遊ぶことも、ほとんどできない生活を送っています。
そのせいで強いストレスを感じ、自分の体を噛んだり、同じ場所をグルグル歩き回ったりといった、「常同行動」と呼ばれる様子が見られることもあります。
心も体も、元気をなくしてしまっている子たちがたくさんいるんです。

そんな状況の中で、動物たちは「感じる心を持った大切な存在」としてではなく、「見せ物として使う道具」のように扱われてしまっています。
ヴィーガンの人たちは、こうした状況を「動物に対する仕組みとしての暴力」と考えています。

わたしたちは、サーカスの光の下にいる動物たちの影にも、そっと目を向けてみることができるかもしれません。

サーカスから動物を救う時に、そこで働く人々のその後を考える

サーカス小屋から動物だけを救い出すことでは、本当の意味での救いとは言えません。
・サーカス小屋から救われた、動物の行き先を考える。
・サーカス小屋で働いてきた就労者の人々に寄り添った形での新しい新しい仕事を見つけるため、国や地方自治体への働きかけなども同時に行い、しっかりとした働く人々の道筋作りがなければなりません。

重要なことは、動物のその後の行き先を探していることと、今まで動物がいたから、そこでの仕事はありましたが、動物がいなくなり、サーカス小屋がなくなれば、そこで働く人たちは路頭に迷うことになりかねません。

そこで働いてきた人たちの新しい仕事を、働く一人一人のお話を聞き、その方、その方にあった次の仕事を探せる仕組みを作ることも同時に行わなければ、単純なサーカス小屋での動物利用の「反対」「反対」と叫ぶだけの運動になってしまうかもしれません。

世界は少しずつ変わってきています―法律とひとりひとりの力

むかしは「サーカスといえば動物」というイメージがあったかもしれません。大きなゾウやライオンが登場して、観客をわっと驚かせる、そんな風景が、あたりまえのように存在していた時代がありました。

でもここ10年、20年の間に、世界は少しずつ、その在り方を見直しはじめています。今では、多くの国や地域で「動物を使わないサーカス」が選ばれるようになり、動物を見世物にしないという考え方が、少しずつ広がってきています。

この大きな変化の背景には、たくさんの人たちの想いと行動がありました。

ヴィーガンとして暮らす人たち。
動物のことを考える団体。
「これはおかしいよね」と声を上げた活動家の方々。
そして、そうした声に耳を傾け、勇気を持って動いた市民一人ひとりの存在です。

法律は、ある日突然変わるわけではありません。
むしろ、「少しでもよくしたい」と思う気持ちが、長い時間をかけて少しずつ集まって――やがて形になっていくものです。

国の制度が変わったとき、そこには必ず、地道に伝え続けてきた人たちの存在があります。
「声は小さくても、届けることには意味がある」――そんな希望が、確かに世界を動かしてきたのです。

そして今も、その波はゆっくりと、でも確実に広がり続けています。

イタリア:動物サーカス全面禁止の画期的法制化(2022年)

2022年、イタリア政府はサーカスや移動興行において「すべての動物」の使用を禁止する法律を正式に施行した。この法案は、野生動物に限らず、馬や犬などの家畜・飼育動物も含めて使用を禁じる点で、非常に画期的である。

この決定の背景には、動物の福祉を中心に据えた議会内外の強い議論、そして市民からの大規模な署名活動がある。特に若い世代を中心に「動物を使わない芸術表現」への支持が広がっており、サーカスの在り方自体が文化的に問い直された結果ともいえる。

オーストリア:ヨーロッパで先駆け的存在となった野生動物禁止法

オーストリアは、2005年の時点で既に野生動物を使用したサーカス興行を禁止しており、ヨーロッパの中でも先進的な立法を行った国の一つである。対象はライオン、トラ、ゾウなどの「野生動物全般」で、動物の生態にそぐわない訓練や移動を明確に問題視している。

この法律は、科学的見地と動物行動学に基づいた報告書をもとに成立しており、動物がショーのために生来の行動を制限されることのストレスや、身体的損傷のリスクを具体的に論じている。オーストリア国内の世論もこの方針に肯定的で、動物に依存しない新しいサーカス文化が育ちつつある。

北欧諸国:段階的禁止と社会的合意による移行

ベルギー、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランドなどの北欧諸国では、野生動物の使用を禁止する法制度を段階的に導入している。これらの国々の特徴は、強制的な一括禁止ではなく、社会的合意を重視しながら規制を進めている点にある。

たとえば、既存の動物を段階的に引退させ、代替のエンターテインメント(人間の身体表現、映像技術など)への移行を支援する仕組みもある。このような「緩やかな移行」は、動物福祉の実現と産業の再構築を両立させる実践例として注目されている。

アメリカ合衆国:州単位での規制と全国的な世論の変化

アメリカでは、連邦レベルでの包括的な禁止法はまだ整備されていないものの、多くの州が独自に法規制を進めている。特に、ニュージャージー州、カリフォルニア州、ハワイ州などでは、野生動物を使用するサーカスの興行を明確に禁止する法令が成立している。

中でも象徴的なのが、アメリカ最大級のサーカス団「リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー」が2017年に動物利用を中止し、その後完全閉鎖に至った出来事である。これは、PETAやHSUSなどの動物保護団体による長年の抗議活動、消費者からの批判、動員数の減少など、複数の要因が重なった結果である。

この閉鎖は、「動物を使わないサーカス」への転換が産業として成立し得ることを象徴する出来事となった。

インド:野生動物の移動サーカス禁止と文化的転換

インドにおいても、野生動物を移動サーカスで使用することは法律で明確に禁止されている。特にゾウやライオンなどを過酷な気候下で移動・拘束することの非人道性が問題視され、政府は中央動物福祉委員会(AWBI)の勧告に基づき、野生動物使用許可証の一斉取り消しを行った。

インドでは宗教や文化的背景もあり、動物を神聖視する価値観が根付いている地域もあるが、同時にサーカス文化が「貧困層向けの娯楽」として支配的だった経緯もある。現在は教育レベルの向上とともに、動物福祉への理解が高まりつつあり、代替的なエンタメ興行が少しずつ台頭している。

動物を「教育」に使うって、本当にいいこと?

サーカスで動物が使われることについて、「子どもたちに動物の姿を見せるのは教育になるんじゃないか」と言う人もいます。たしかに、動物を間近で見ることで、関心や興味を持つきっかけになることもあるかもしれません。でも、ヴィーガンの立場から見ると、そこにはいくつか大事な問題があるんです。

たとえば―

子どもたちが「動物は人間の言うことを聞いて当然」と思ってしまうかもしれないこと。野生では見られないような、不自然な芸を見て、「これが普通の動物の姿」と誤解してしまうこと。動物を「見せもの」として楽しむ文化を、当たり前のものとして残してしまうこと。

こうした心配があるんですね。

ヴィーガンの人たちは、「動物のことを本当に学んでほしいなら、その子たちが“ありのまま”の姿を見られる方法を選んであげたい」と考えています。

教育って、知識だけでなく、やさしさや思いやりの心を育てることでもありますよね。
だからこそ、「どんな形で動物と出会うのか」も、きっと大切なことなんです。
ヴィーガンは、動物の姿を本当に教育的に見せたいならば、動物園やサーカスではなく、ドキュメンタリー映像や野生動物保護区での観察など、動物の自然な姿と尊厳を保つ形での学びが良いのではないのかなと思われます。

サーカスは変わりはじめています 〜動物を使わない、新しい感動のかたち〜

最近では、動物を使わない「新しいサーカス」が世界中で広まりつつあるのをご存知ですか?
それは、ただ動物をやめたというだけでなく、もっと自由に、もっと美しく、観客の心に深く響くサーカスへと進化しているんです。

たとえば、世界的に有名な「シルク・ドゥ・ソレイユ」。
このサーカスは、動物を一切使わず、人間の身体の動きと表現力、そして豊かなストーリーで観る人を魅了しています。まるで夢を見ているような時間を届けてくれる、まさに“芸術”と言えるショーです。

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そしてドイツの「サーカス・ロンカリ」では、なんとホログラムを使って、まるで本物のような動物たちを舞台に登場させています。
映像と音、光の演出で創られたその世界は、動物を苦しめることなく、人々に感動や驚きを与えています。

こうした取り組みは、サーカスは動物がいなくても、こんなにも素晴らしいものになるということを私たちに教えてくれます。

動物の自由を大切にしながら、観る人の心を動かす。そんなサーカスが、これからの時代の“あたらしい感動”になっていくのかもしれませんね。

日本ではどうなっているの?〜サーカスと動物たちの今〜

今も日本では、動物を使ったサーカスがいくつか残っています。
とくに地方のイベントや観光地では、ゾウやポニーが登場するショーが「楽しみのひとつ」として行われていることもあります。

でも、それを見て「かわいいね」と思う一方で、動物たちがどんなふうに過ごしているのか、どんな気持ちなのかを考える機会は、まだあまり多くありません。

どうして日本では、まだ動物を使ったサーカスが続いているのでしょうか?
背景には、いくつかの理由があると考えられています。

動物の福祉(=幸せや健康)についての意識が、欧米のように高くないこと

ヴィーガンの考え方が、まだ多くの人に知られていないこと

「昔からあるものだから」「懐かしいから」といった感情が根強く残っていること

とはいえ、日本でも少しずつ、変化の芽が出はじめています。

たとえば、動物の権利を守ろうと活動している団体や個人が、SNSでやさしく情報を発信したり、現場で静かに思いを伝える活動をしたり、署名を集めて声を届けようとしたり――。

そうした小さな動きが、少しずつ、じわじわと広がってきているんです。

わたしたち一人ひとりの気づきや行動が、未来を少しずつ変えていけるかもしれません。
「これって本当にいいことなのかな?」と立ち止まって考えること――それが変化の第一歩になるのです。

動物が苦しまない未来へ―わたしたちにできること

サーカスで動物を使うかどうか、というのはただの「選択」の問題ではありません。
それは、もっと根本的な、「私たちは他の生きものたちとどう向き合っていくのか」という、大切な問いにつながっています。

動物にも、痛みや怖さ、うれしさやワクワクする気持ちがあることが、今では科学的にもわかってきています。
そんな感情を持つ存在を、「楽しみのために閉じ込めたり、無理をさせていいのかな?」と考えること――それが、サーカスの問題をきっかけにできる第一歩です。

ヴィーガンという生き方は、そうした問いに、やさしく丁寧に向き合っていく姿勢でもあります。
「これは買わない」といった消費の選択だけでなく、「こんな考え方もあるよ」と誰かに伝えること、
そして「社会ってこう変えられるかもしれないね」と、静かに問いかけることも、ヴィーガンの大切な役割です。

一人の力は小さいかもしれません。でも、その一歩が、まわりの心に届いて、少しずつ社会の流れが変わっていくこともあります。

動物たちが苦しまない未来のために。
わたしたち自身の思いや選択が、やさしさの連鎖を生んでいく――そんな未来を、一緒につくっていきませんか?

最後に:サーカスの光と影を見つめて

サーカス、その華やかさの裏に、私たちは今、大切なことを見つめ直す時期に来ているのではないでしょうか。
たとえば、そのショーに登場していた動物たちは、どんな毎日を過ごしていたのか。
その芸を覚えるまでに、どんな気持ちを抱いていたのか。
私たちが知らずに見逃してきた「影」が、たしかに存在していたのかもしれません。

「楽しむ」ということは、「誰かを犠牲にしていい」ということではないはずです。
命ってなに?
共感ってどういうこと?
本当の豊かさって、どこにあるんだろう?

そんな問いを胸に抱えたとき、動物を使わないサーカスという新しい道が、私たちの前にそっと現れます。
人間の身体と感性だけで創り上げられた舞台。
テクノロジーと芸術が手を取り合い、命を傷つけることなく観客を魅了する演出。
そこには、「奪わない美しさ」「支配しない感動」が、たしかにあるのです。

もう、動物に頼らなくてもサーカスは成立します。
いいえ、むしろ動物から自由になったサーカスこそが、これからの時代を照らす光になるのかもしれません。

ヴィーガンの視点から見れば、それは「いつか実現できたらいいな」という理想ではありません。
それは、今ここから始められる選択であり、
やさしさと尊重に満ちた社会へ向かう、とても現実的な一歩なのです。

サーカスの光だけでなく、その影にも目を向けたとき、
私たちには「もっと思いやりのある未来を選ぶ力」があることに、きっと気づけるはずです。

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