宮沢賢治と『ビジテリアン大祭』|100年前に語られた「動物がかわいそうだから食べない」という思想

「動物がかわいそうだから食べない」この言葉を聞くと、現代のヴィーガンを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし実は100年以上前、日本を代表する作家・宮沢賢治は、このテーマを小説として描いていました。

その作品が『ビジテリアン大祭』です。

ビジテリアン大祭 (宮沢 賢治)
私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。 全体、私たちビジテリアンというのは、ご存知の方も多いでし…

この作品には、現代のヴィーガン論争にも通じる問いが数多く描かれています。そして、その中心にはとても素朴な思いがあります。

「動物がかわいそうだから食べない」

この記事では、『ビジテリアン大祭』を通して、宮沢賢治が見つめていた命へのまなざしを紹介します。

宮沢賢治は菜食主義者としても知られている

宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』などで知られる作家です。

一方で、熱心な法華経信仰を持ち、生き物への慈しみを大切にしていた人物でもありました。

実際に賢治は肉食を避ける生活を送り、菜食主義者として知られています。

その思想は童話や詩だけでなく、『ビジテリアン大祭』にも色濃く表れています。

『ビジテリアン大祭』とはどんな作品か

『ビジテリアン大祭』は1920年代に執筆された未完の作品です。

舞台はニューファンドランド島の小さな村。そこでは世界各地から集まった菜食主義者たちによる国際大会が開かれています。

物語では、菜食主義者と反対派との間で激しい論争が繰り広げられます。

反対派は、

  • 人間は雑食動物である
  • 肉を食べなければ栄養が足りない
  • 植物にも命がある
  • 動物は死を理解していない
  • 肉を食べないと食料不足になる

などの主張を展開します。

驚くことに、その多くは現代でも繰り返されている議論です。

ビジテリアンの二つの考え方

作品の冒頭で賢治は、菜食主義者を大きく二つに分類しています。

同情派

動物も人間と同じように命を惜しむ存在であり、その命を奪うことを避けたいという立場です。

予防派

健康維持や病気予防のために肉食を控える立場です。

現代で言えば、

  • 動物倫理を重視するヴィーガン
  • 健康志向のプラントベース

に近い分類といえるでしょう。

賢治自身が強く共感しているのは、明らかに同情派です。

そこには、「動物もまた生きたいと願う存在である」という感覚があります。

現代のヴィーガニズムとの接点

『ビジテリアン大祭』が書かれてから100年以上が経ちました。

当時は「ビジテリアン」と呼ばれていた思想も、現在ではヴィーガニズムや動物福祉、動物倫理といった考え方へと広がっています。

現代では、動物を食べることは個人の好みだけでなく、畜産のあり方や動物福祉、環境負荷など、社会全体に関わる問題として議論されるようになりました。

賢治は、菜食という一つの答えを押し付けたのではありません。

むしろ、賢治が突きつけたのは、正解を出すことではなく、「食べるという行為に自覚的であること」の大切さを伝えようとしていたのではないでしょうか。

だからこそ、『ビジテリアン大祭』は菜食を勧めるだけの物語ではなく、私たち一人ひとりに「命をいただくとはどういうことか」を問いかける作品として、今も読み継がれているのです。

宮沢賢治が描いた「想像力の限界」

この作品を単なる菜食主義の物語として読むと、本質を見落としてしまいます。

賢治が描いているのは、「他者の痛みを想像すること」の大切さだけではありません。

むしろ、人間の想像力には限界があるという事実でもあります。

菜食主義者たちは反対派の議論を次々と論破していきます。しかし賢治は、その勝利で物語を終わらせません。

論理で相手を言い負かしても、相手の心まで理解したことにはならない。

正しい理屈を持つことと、他者への慈悲を持つことは同じではない。

そんな自戒が、この作品には流れています。

「自家撞着」というキーワード

作品の中で何度も登場する言葉があります。

それが「自家撞着(じかどうちゃく)」です。

意味は、自分の主張の中に矛盾があること。反対派も賛成派も、互いの矛盾を指摘し合います。賢治はここで、「どちらが正しいか」を決めようとしているのではありません。

むしろ、人は誰でも自分に都合のよい理屈を信じてしまうという人間の性質そのものを見つめています。

日本にもあった「命への慈悲」の伝統

宮沢賢治の思想は、突然生まれたものではありません。『ビジテリアン大祭』の背景には、宮沢賢治自身が深く親しんだ仏教思想があります。

日本では古くから、命への慈悲を大切にする考え方が受け継がれてきました。

その一つが、675年に天武天皇が出した肉食禁止令です。天武天皇は牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁じる勅を出しました。これは日本最初の肉食規制として知られています。背景には仏教の不殺生思想の影響に加え、農耕に欠かせない牛馬の保護や国家統治など、複数の要因があったと考えられています。

たとえば、江戸時代の徳川綱吉は、生類憐れみの令を通して、人だけでなく動物も保護の対象としたという点で、日本史の中でも特異な存在です。

また、日本各地には魚霊碑や獣魂碑など、食べた命や人間が利用した動物を供養する文化も残されています。

江戸時代の俳人の小林一茶は、

やれ打つな 蠅が手をする 足をする

と詠みました。殺されそうになっているハエに「打たないで」と呼びかけるこの句には、小さな命にも心を寄せる感性が表れています。

一茶は、ハエを「害虫」ではなく、一つの命として見ていました。小さな虫でさえ、生きようとしている。そんなまなざしは、『ビジテリアン大祭』で賢治が描いた動物への共感にも通じています。

賢治が学んだ法華経には、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という教えがあります。これは、人間だけでなく、動物を含むすべての生きものに仏性が宿るという考え方です。

だからこそ賢治にとって動物の苦しみは、遠い他者の苦しみではありませんでした。

『ビジテリアン大祭』で繰り返し描かれる動物への共感は、こうした生命観の上に成り立っていたとも考えられます。

「ヴィーガニズムは海外から来た新しい思想」というだけではなく、日本にも古くから命への慈悲を大切にする思想や文化が受け継がれてきたと考えられています。

流転する命という仏教的世界観

賢治の思想の背景には仏教があります。仏教では、命は生まれて終わるのではなく、流転を続けると考えます。

遠い昔には親子だったかもしれない。兄弟だったかもしれない。友人だったかもしれない。そう考えると、目の前の動物も決して無関係な存在ではありません。

あらゆる命はつながり合い、互いに支え合いながら生きている存在として捉えられます。

だからこそ、せめて苦しみに気づこうとする。そこに賢治の慈悲があります。

「芝居」という結末が意味するもの

この作品の最も印象的な場面は結末です。

長い論争の末、反対派は次々に菜食主義へ改宗します。

ところが最後になって、それが祭りを盛り上げるための「芝居」だったことが明かされます。普通の思想小説なら、「菜食主義の勝利」で終わるでしょう。

しかし賢治はそうしませんでした。これは単なるユーモアではありません。賢治は読者に問いかけているのです。

正しい議論に勝つことが、本当に大切なのだろうか。

主義や思想に夢中になるあまり、目の前の命を見失ってはいないだろうか。その問いが、この結末には込められています。

宮沢賢治が現代にいたら

もちろん、これは想像にすぎません。

しかし、『ビジテリアン大祭』を読む限り、賢治は現代のSNSやヴィーガン論争に対して、こんな問いを投げかけるのではないでしょうか。

「あなたは本当に相手を理解しようとしていますか。」

賢治は、反対派を単なる悪役として描きませんでした。異なる考えを持つ人の中にも、同じように悩み、考える人間がいることを知っていたからです。

そして、こう続けるかもしれません。

「動物を愛する人も、動物を食べる人も、互いを裁くことに忙しくなりすぎて、肝心の動物を見ていないのではないか。」

「まず牛を見なさい。豚を見なさい。鶏を見なさい。そして自分の心を見なさい。」

まとめ

宮沢賢治は100年以上前に、動物への共感から菜食を選ぶ人々の姿を描きました。

そこにあったのは、「動物がかわいそうだから食べない」という率直な気持ちでした。しかし『ビジテリアン大祭』は、それだけの作品ではありません。

正しさをめぐる論争。他者への想像力。命の流転。そして、人間の抱える矛盾。賢治は、完璧な答えを私たちに与えてはくれませんでした。

むしろ、答えの出ない葛藤の中に留まることの誠実さを教えたのです。だからこそ、この作品は菜食主義の勝利を描いた物語ではなく、命について考え続けることの大切さを描いた物語として、今も読み継がれています。

そして賢治は、最後に読者へ静かな問いを残します。

100年前に賢治が残した問いは、今も私たちの前にあります。

「私たちは、本当に他者の痛みを想像できているだろうか。」

その問いに向き合うことから、私たちの選択は始まるのかもしれません。

日本には、命について問い続けてきた人たちがいました。

綱吉が政治と制度を通して命を考えた人物なら、宮沢賢治は文学を通して命と対話を考えた人物でした。

二人が生きた時代も立場も異なりますが、ともに「人間だけではない命」に目を向けたという点で、日本の思想史の中でも印象的な存在と言えるでしょう。

タイトルとURLをコピーしました