『なぜ』を問い続けた先に、ヴィーガンという生き方があった。―管理栄養士として、そして一人の人間として

管理栄養士として歩み始めた原点

私は、管理栄養士として食と健康に向き合ってきました。

学生時代、私は「食を通じて、人の病気を減らすことができる」と信じていました。栄養学を学び、食事の力を知るほどに、食べるものを整えることは、人の体を守り、人生を支える大切な手段だと感じていたのです。

大学で学んだ栄養学は、私にとって確かな道しるべでした。肉、魚、卵、乳製品をはじめ、いろいろな食品をバランスよく摂ること。タンパク質を十分に確保すること。栄養素を過不足なく組み合わせること。それが健康につながる「正しい」食事であり、管理栄養士として伝えるべき知識だと信じて疑いませんでした。

けれど、現場に出ると、学校で学んだことだけでは成り立たない、教科書通りにはいかない現実がありました。

高齢者施設で働いていた頃、栄養を考えて献立を立てても、利用者さんの健康状態が明らかに改善したという実感を得ることは困難でした。もちろん食事は大切です。しかし、老いや病気の進行を前にすると、食だけですべてを変えられるわけではないという現実もありました。

学生時代には、食で病気をなくせるのではないかと思っていました。けれど、身近な人を病気で亡くす経験を重ねる中で、食の持つ力と同時に、その限界も知るようになりました。

食は大切です。けれど、万能ではありません。

食を学んだ先に見えてきた、もっと大きな世界

福祉給食に携わる中で、大きな転機になったのは、保育園での食物アレルギー対応でした。卵や乳製品にアレルギーを持つ子どもたちと向き合う中で、私は強い違和感を抱くようになりました。

「なぜ、これほど多くの子どもたちが食物アレルギーを持っているのだろう?」
なぜ、卵や乳製品に反応する子どもがこんなに多いのだろう。
本当に、今の食のあり方は子どもたちの体に合っているのだろうか。

学校で学んだことが最新の栄養学であり、それが正しいと信じていた私にとって、この問いは大きな衝撃でした。

私は答えを探すように、食に関する本を読み始めました。遺伝子組み換え、飼料や肥料の問題、種苗のこと、小麦や油と精製過程、マクロビオティックや食養の考え方、薬膳、がんと食事の関係、お寺ご飯と精進料理、ヨガと菜食の関係、そして脳腸相関など、学校では深く学ぶことのなかった視点に触れていきました。

船瀬俊介氏、幕内秀夫氏、小泉武夫氏、森下敬一氏、石塚左玄氏、西原克成氏などの著作にも影響を受けました。それまで私が見ていた栄養学は、食材に含まれる栄養素を中心に考えるものでした。しかし、それらの本を読む中で、食べ物は栄養素だけで成り立っているのではないと気づきました。それらの本は、食材に含まれる成分という「点」だけではなく、食を「線」や「面」で捉える視点を教えてくれました。

その食べ物が、どのような土地で、どのようなプロセスで作られたのか。
そこに農薬や抗生物質、遺伝子組み換えの問題はないのか。
そして、その食べ物が私たちの体や腸、免疫にどのように関わっているのか。

食の問題は、農の問題につながっていました。

食を知ろうとしていたはずなのに、気づけば私は食だけを見てはいませんでした。

農業、畜産、環境、経済、宗教、哲学。一つの疑問に答えを求めるたびに、新しい問いが生まれました。

「なぜ、人は食べるのか。」

「なぜ、豊かな国ほど生活習慣病が増え、貧しい国では飢餓がなくならないのか。」

私は初めて、「食べること」は栄養ではなく、一つの生き方そのものなのだと感じたのです。

動物は、人に食べられるために生まれてきたのではない

食の問題は農の問題であり、農の問題は環境や資源の問題でした。出口の見えない地球規模の課題がつながって見えてきたのです。

そして、その先には、人間社会そのもののあり方がありました。

最初は、給食の現場で実践できる答えを探していました。子どもたちにとって、よりよい献立を作るためのヒントが見つかると思っていました。けれど、学べば学ぶほど、この世界は「限られた資源を奪い合う構造」の上に成り立っていることが見えてきました。

私が最終的にヴィーガンになることを決意できたのは、畜産現場やとさつの実態を映した映像を見たことでした。

機械のレーンに吊り下げられた鶏。
恐怖の中で暴れる豚や牛。
うさぎが扱われる現場。
卵や乳を作るために利用される動物たち。
水揚げされ痙攣する魚。

目を背けたくなる映像でした。けれど、そこに映っていたのは、日常で実際に起きていることでした。

「動物は、人間に食べられるために生まれてきたのではない。」

人はなぜ生まれて、生きているのか。輪廻転生や臨死についても調べました。明確な答えは出なくても、確信したことがあります。

人も動物も、それぞれが自分自身の人生を生きるために生まれてきたということ。少なくとも、「人に食べられるためだけに生まれてくる命」はないということです。

その事実を直視したとき、私の中で迷いは少しずつ消えていきました。

一般的な食事は、多くの動物の犠牲の上に成り立っています。

その事実を知ったとき、私は「健康のために食べる」という言葉を、以前と同じ意味では使えなくなりました。

個人の選択と集団管理のあいだで

管理栄養士として、集団給食の現場には守るべき基準があります。子どもたち全員に対して、個人の価値観をそのまま反映させることはできません。給食は個人の選択ではなく、集団の栄養管理です。

最終的にヴィーガンという選択にたどり着いたとき、私はその難しさにも直面しました。

これは、自分自身の生き方としては深く納得できる。
けれど、日本の給食の現場にそのまま持ち込むことは非常に難しい。

個人の選択と、集団の栄養管理は、別のものとして扱わなければならない。

その現実に戸惑い、管理栄養士として、今のまま仕事を続けてよいのだろうかと考えたこともあります。

それでも、その葛藤があったからこそ、私は「押しつける」のではなく、「相手を尊重する」「伝える」ことの大切さを学びました。

ヴィーガンという生き方を続ける中で学んだこと

世界には、動物性食品を摂らずに生きている人がたくさんいます。肉や魚、卵や乳製品を食べなくても、健康に暮らしている人たちがいます。そのことを知ったとき、「悩む必要はなかったのだ」と感じました。

もちろん、ヴィーガン食にも知識は必要です。ビタミンB12の補給、タンパク質の組み合わせ、鉄やカルシウム、オメガ3脂肪酸への配慮など、注意すべき点はあります。

けれど、管理栄養士として学んできた知識は、ここでこそ役立ちました。栄養学を否定するのではなく、動物の犠牲に頼らない形へと入れ替えていく。私にとってヴィーガンは、栄養学の否定ではなく、栄養学のアップデートでした。

実際にヴィーガン食を試してみると、決して無理な選択ではないことがわかりました。

動物性食品を食べなくても、体は保てる。
むしろ、胃もたれが少なくなり、体が軽く感じる。
血圧や血中脂質にも改善が見られる。

自分自身の体で変化を感じられたことは、大きな支えになりました。糖尿病などに対しても、植物性中心の食事が良い影響を与えるという報告があることも、学びの中で知りました。

一方で、私は食事法を万能視しているわけではありません。

ヴィーガン食で病気が改善する人もいるかもしれません。がんや生活習慣病との関係について、希望を感じる報告もあります。けれど、人の体には個人差があります。合う、合わないがあります。感受性も違います。

だからこそ、私は「これだけが絶対に正しい」とは言いません。

実際、私はグルテンフリーを試したこともあります。けれど、小麦を抜くことは、私にとって動物性食品を抜くことよりもずっとつらいものでした。パンが食べたい。麺が食べたい。食べたい、食べたい、食べたい。そう感じて、苦しくなりました。

その経験から、私は学びました。

食は、栄養素だけで決まるものではありません。
正しさだけで続けられるものでもありません。
心と体が納得できること。
無理なく続けられること。
自分にとって心地よいこと。

それが何より大切なのだと思います。

正しさよりも、人を尊重する生き方へ

ヴィーガンになったばかりの頃は、毎日何を食べればよいのか迷い、成分表示を細かく確認する日々が続きました。それでも、あとから動物性の成分が含まれていたことに気づくこともありましたし、外食の難しさを感じる場面も少なくありませんでした。

私は管理栄養士という職業柄、食材の組み合わせや栄養バランスを考えながら、自分なりに食事を楽しむことができました。けれど、一般の方にとっては、正しさを守ろうとすればするほど、食事そのものが負担になってしまうこともあると思います。

ヴィーガンは、苦しむためのものではありません。
自分を責めるためのものでもありません。
動物を大切にしたいという気持ちから始まった選択が、自分自身を追い詰めるものになってしまっては、本末転倒です。

だからこそ、ヴィーガンは苦しむためのものではない、と伝えたいのです。

だから今は、誠実さを大切にしています。

できる限り動物を利用しない。
知ったことから目を背けない。
でも、自分の心と体も大切にする。
そして、他の人に押しつけない。

それが、私にとってのヴィーガンです。

職場では、私の選択に一定の理解を得ることができました。しかし、家庭では簡単ではありませんでした。実家での集まりや、姉妹の反応は手厳しいものでした。

食卓は、家族の記憶と深く結びついています。そこで自分だけ違うものを食べることは、時に相手の食べ方を否定しているように受け取られることもあります。私自身は誰かを責めたいわけではなく、自分の選択をしているだけでした。それでも、家族との間には戸惑いや摩擦がありました。

けれど、3年ほど経つと、それは少しずつ当たり前になっていきました。

今では、私の食生活が話題に上がることもほとんどありません。実家で集まるときには、私の料理を別に作ることになります。「面倒くさい」と言いながらも、対応してくれる家族がいます。その姿に、私は感謝しています。

完全に理解してもらえなくてもいい。
同じ考えになってもらわなくてもいい。
それでも、そこに少しずつ受け入れ合う形が生まれる。

そのことを、家族との時間が教えてくれました。

ヴィーガンになったことで、私は動物への見方だけでなく、人への見方も変わりました。

以前の私は、正しさに強くこだわっていたと思います。栄養学の正しさ。健康の正しさ。食の正しさ。けれど、自分が少数派の立場になり、周囲との違いに迷う中で、人にはそれぞれの背景があり、それぞれのペースがあるのだと知りました。

人は、すぐには変われません。
家族も、社会も、職場も、簡単には変わりません。
けれど、時間をかけて伝わるものがあります。
言葉よりも、日々の姿で伝わるものがあります。

以前の私は、「正しい答え」を探していました。

管理栄養士としても、一人の人間としても、「これが正解だ」と言えるものを求め続けていました。

でも、たくさん学び、多くの人に出会い、さまざまな価値観に触れる中で気づいたのです。

世の中には、唯一の正解など存在しない。

だからこそ、人を変えようとするよりも、人を理解しようと思うようになりました。

私は、これまでの経験を通して、人を尊重できるようになりました。
そして、自分を尊重できるようになりました。

動物たちの命と向き合うために始めた食の旅でしたが、その先で私が出会ったのは、自分自身との和解でした。

私が『ヴィーガン・スタート』で伝えたいこと

私は、管理栄養士です。
そして、ヴィーガンです。

この二つは、私の中で矛盾していません。

管理栄養士として、人の健康を考える。
ヴィーガンとして、動物の命を考える。
一人の人間として、自分の心と体を大切にする。

そのすべてを切り離さずに、私はこれからも食と向き合っていきたいと思っています。

『ヴィーガン・スタート』では、これからヴィーガンを知りたい方、始めてみたい方、すでに実践している方に向けて、無理なく、わかりやすく、そして誠実に情報を届けていきます。

ヴィーガンは、特別な人だけのものではありません。
完璧な人だけが選べるものでもありません。

誰かを否定するためではなく、自分を偽らずに生きるために。
正しさを押しつけるのではなく、心地よい選択を重ねるために。
食べられるために生まれてくる動物を、少しでも減らしていくために。

「なぜ」という問いを持ち続けながら。

私はこれからも、管理栄養士としての知識と、ヴィーガンとしての経験を活かしながら、人と動物にやさしい食のあり方を伝えていきます。

人も動物も、それぞれが自分自身の人生を生きるために生まれてきた。

私は、その命を尊重できる社会を目指して、これからも発信を続けていきます。

  • プロフィール
  • 1999年 大学卒業
  • 1999年 管理栄養士国家資格取得
  • 管理栄養士として、福祉給食(高齢者施設・障がい者施設・保育園・幼稚園)に20年以上従事
  • 現在は病院給食に5年以上従事
  • 個人としてヴィーガンを実践
  • 『ヴィーガン・スタート』監修
タイトルとURLをコピーしました